学校教育の3つの神話 不登校の子どもたちに心から伝えたいこと

先日、不登校気味の次男について懇談会がありました。

私と夫と担任の先生と

教育委員会の特別指導員の先生です。

 

内容は2つ。

1つ目は夏休み前に次男が行った

視覚・聴覚・手先の器用さについてのテスト結果について、です。

2つ目は

2学期に入ってからの学校生活方針について、でした。

 

視覚・聴覚・手先の器用さ、あと運動神経が平均より低いと

どうしても集団教育では理解が遅れるために

ついていきにくくなる。

そして授業がついていけないので

学校に行きしぶる・・というパターンがあるようです。

 

これは次男はクリア。

というか頭の回転が速すぎる

丁寧さが欠ける、という診断結果になりました。

 

だから待てない

ということも言えるそうです。

 

要は、機能的問題ではなく

性格的な課題ということに話はなりました。

そしてまた次回までに性格的な苦手や得意に関するテストを

受けることになりました。

 

 

担任の先生だけじゃない、より専門的な判断が加わることで

かなり次男寄りの学校からのサポートをもらっていると感じます。

例えば

・朝から登校しなくていい

・みんなと一緒に全部授業を受けなくていい

・一人でいたいなら、いてもいい

 

なぜなら次男は

目立つことやリーダーになるのは好きだけど

集団が苦手で、過敏症だから。

 

同じように不登校のお子さんをお持ちのお母さんに

何か情報があればと思い、前置きが長くなりました。

 

今回、私が「学校の先生」とお話しして感じたことを

まとめてみました。

 

日本の学校教育で、失われやすいもの

<目次>

1、NOという自発性

2、成長しつづける力

3、突出した個性

 

1、NOという自発性

母親として「困ったな」と思いながら

「なんとかならないかな」と同時に思ったのが

次男の「NO」でした。

 

5年になってすぐからかわれて、

クラスで居場所がわからなくなったようでした。

 

担任の先生も4年までの友達のような先生というより

ダメなことはダメと、すぐに伝えられる先生でした。

 

目立つことを楽しんでいる元気で面白い一面がある一方

クラスで怒られたのは別の子なのに、

怖くて次の日学校行けなくなる。

 

バランスが良い子とは言いにくいので

理解するのがちょっと難しいかもしれません。

 

いちど「NO!」と思うと頑固で。

先生が複数でどこまでも追いかけても

学校で見つかならくなるそうです。

(その度に電話ありましたね〜。)

 

「NO!」には次男なりの理由があります。

でもそれはなかなか学校では反映されにくい。

なぜなら集団教育であるし

日本は協調性をもつことが素晴らしいという

価値観があるから。

 

それでもだいぶ、変わってきて

彼の「NO!」も受け入れられることが多くなった。

今日も行ったけどクラスに入れず

次の授業も水泳せずにクラスで1人でいたらしい・・。

 

2、成長しつづける力

でも、ベースは(少し強い言い方をするなら)

子どもの言うことなんて、信じてはいけない

大人が正しい、

社会、学校が正しいと思っている風があるなあって思った。

 

二学期に入って2日間

次男は休んでいた。

多少、ズルもあったかもしれない。

 

でも私も腹をくくった。

私もアドバイスはできるけど

まだ小5といったって、本人はきちんと判断できるのだ。

それに次男の人生の責任は

やっぱり次男にしか追えないのだ。

 

私のできることは

私が見える多少の見通し(これも未来において定かとは言えない)と

それ以上に次男の育っていく力と

そもそも持っている才能を信じることだ。

 

困ったこと、悲しかったことがあったからこそ

将来、次男が優しくなれたりと糧となることも多いだろう。

 

でも先生は、子どもへの心配がゆえに

「お母さん、お子さんの意見を聞かず

ともかく連れてきてください。

意見を聞いちゃうとダメです。」という。

 

そして

引きこもりになったらダメ

不登校にならないように今なら間に合う、という。

 

不登校はその子どもの人生の全体において

本当に問題になってしまうのだろうか。

ひょっとして大人が

不登校=問題とするからこそ

その子どもはさらに生きにくくなっているのではないだろうか。

 

そうはいっても

私も一学期は本当に心配したのだけど。

ただ

本当に信じたいことを信じられるようになっただけだ。

 

3、突出した個性

「次男くんはともかく頭の回転が早い。

平均の半分以下です。

でも性格的にはその分考えこんで不安になりやすい。

 

アンバランスは生きにくくなりやすいから

バランスをとらないといけません。」

 

うーん。

と思いながら聞いていた。

 

本当に突出した才能があったら

生きにくいんだろうか。

 

そのままでは生きられないと

子どもは思ってしまうのではないか。

 

僕は直さないといけない子だ。

僕は直さないと愛されないんだ。

直さないとみんなから受け入れてもらえないんだ、と。

 

単に学校というシステムと合っていない

それだけが事実だと思う。

 

今は希望さえあれば

どんな生き方もできるし、働ける。

 

学校の指標はモノサシの1つでしかないし

これからの時代では通用しなくなる可能性も高いかも

と私は思っている。

 

日本社会は自殺で亡くなる方が多いこと

学校で鬱の先生が多いことは

何か、学びの場が違ってきているサインだと思う。

 

私自身、かなりできることが偏っている。

コンサルやセラピストとしての才能は高いし、そう評価される。

 

でもね。

全然、表とか読めないし

覚えられないし(人の名前でも)

人見知りでコミュニケーションは本当は不得意です。

 

でもちゃんと生きてるし

お役にも立ててる。

子どもたちのお母さんとしても、とても幸せだ。

 

バランスよく生きるは

日本人的な感覚だと思う。

足並み揃えて、

言いたいことをガマンして

みんなで一緒に。

 

それが好きでできる子もいれば

できない子もいるし

集団じゃないからこそ花咲く才能もある。

 

 

セラピストとしても思うし

「窓ぎわのトットちゃん」を読んで確信したことがある。

 

それは

「私はいい子だ!」「自分を好き!」と思えることが

どれだけ人との関係もよくなるか、ということだ。

 

今の学校教育にその余裕がないことはわかる。

 

だから私は母として子どもたちに言ってあげようと思う。

「あなたは、とても、いい子だよ」

「どんなことが起きても大丈夫だよ」

 

まあこんなことが言いたくて

思いたくて

不登校ということが起きているんだろうな。

 

 

<関連記事・窓ぎわのトットちゃんを読んで>

窓ぎわのトットちゃん黒柳徹子著 ワクワク生きている実感を取り戻したい大人たちへ

 

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